007

「サブカライト、M2機関か・・・すごい発見があったわけだ」
アーンスが前髪をちょんまげに結わきながら真剣な目つきをして言った。
「日本が・・・石油枯渇後のエネルギー供給の大部分を独占、軍事力の圧倒的有利・・・」

「大きく変わったよね・・・さすがに100年の時間は並じゃない」
そういいながらマイースは今自分が宇宙にいることを再確認するように思い浮かべた。

少女たち−2008年組のために、2108年までの日本の主だった年譜、2109年現在の社会情勢、
エチカについての概要などをまとめたホームページ『ETHICA』が作成された。
それは慶太がつくたものだった。
彼女たちは2008年組専用の部屋となった補助待機室でそれを見ていたのだった。

「日本は世界の覇権国みたいになったんだ・・・す、すごいね・・・」
ミコスの目は一段と大きくなっていた。
「でもその日本内部では・・・現政府を転覆しようとするセクト?があって・・・
私たちは今エチカの時空艦にいる・・・」
頭の中で状況を整理しながらアリースは、自分たちの時代をはっきりと思い起こそうと試みたが、
どうしてもその輪郭がぼやけてしまうことにいらだった。

「エチカは反政府連盟内の中立的立場・・・なのかな」
ウルルースは少し不安げな表情を浮かべた。

〜〜〜〜〜〜
「ちょっといいかしら」
補助待機室にあかねが訪ねてきた。
「あかねさんだー、どうも」
「こんにちは、みんな調子はどう。重力も空調も調節されてるけど、
完全に地上と同じってわけではないから慣れないと体調を崩す場合もあるのよ。
みんな変わりはない?」
「えっと私は・・・大丈夫です」
アーンスがそういって他の少女たちを見渡すと、「私も」と言うようにみんながうなずいた。
「そう、よかったわ・・・あれ、それって慶太が作ったホームページ?どれどれ・・・」
「あっはい、そうです。いままでみんなで見ていました」ミコスは云った。

「未来を・・・知ってしまった感想は、どう?」あかねはおそるおそる聞いた。
「なんか複雑な気分です、あと頭の中がまとまらないっていうか・・・ただ今の日本は
・・・すごい・・・ですね」
ミコスがそういうと、あかねは目線を下げて一瞬の沈黙となった。
「・・・」

「あかねさん・・・どうかしましたか?」

ウルルースの声であかねはわれに返った。
「いえ、なんでもないの・・・そう、いろいろ頭の中を整理するためにも、
そろそろ個人データの記録をはじめてみないかしら」と笑顔で云った。

「あ、はい」

あかねは2008年組をアガルマの多目的スペースへと案内し、「それじゃ私戻りますね」
と言いブリッジに戻っていった。
多目的スペースには眼鏡に白衣姿のサーシャがいた。
「みんな、待ってたわ。好きな席に座ってちょうだい」
その部屋には長テーブルと複数の椅子、数台のPC、大型スクリーン、あらゆる用途に備えた機材類、
それから慶太のコレクションとおぼしき、過去の時代の書籍や雑誌の資料等があった。

ウェルがどこからともなく現れてみんなに飲み物を配り、またどこかへ去っていった。
「この間ザノビスが言ったように、私たちはあなたたちの個人データと2109年現在の日本人の
個人データを比較検証したいと思っているの。まずは協力に感謝するわ。
・・・それで、個人データの記録について説明する前に、ちょっと確かめておきたいことがあるの」
なにか大学教授かカウンセラーのような面持ちのサーシャが静かに話し始めた。
「今あなたたちは“存在”という観点から見て、かなり曖昧だということ。
自分と世界との距離感がぼやけている状態だと思うわ。自分を確固たる主体として意識するには、
過去の具体的な経験、その記憶に依存しなければならないの。あなたたちは2008年、
元の場所での具体的な記憶が無い・・・そうよね?」
サーシャの口調はやさしかった。
「あるような無いような・・・」
「とても不思議な感覚です」
ウルルースとアリースが催眠にかかったようにおぼろげに言うと、
「どっちかっていうと、ミコスは無いです」自信ありげだった。

「・・・そう。
人は普通、言葉を話すとき同時にイメージも頭に浮かべている。
言葉とイメージは同時進行で喚起される。今のあなたたちの場合、
ぼんやりとした無数のイメージが先にまずある。あなたたちは
そのイメージをつなげていきながらそのつど記憶が少しずつ呼び覚まされ、
文脈をつくり言葉として表現される、そういう時差を伴っている。
ちがうかしら」
“ちがうかしらと言われても・・・”少女たちは一様にそう感じた。
専門家じゃないしこんなふうになったこともないし、マイースはそう思ったが
たぶんサーシャはすでに分析済みなのだと感じ
「ん・・・なんとなくそんな気がします」
とひとまず答えた。
「個人データを取り始めるにはまだちょっと無理があるの。
たとえば言葉が話せなかったり言葉を覚えたての赤ちゃんの
個人データをコンピューターは解析できない。抽象的過ぎるから。
数値化してもそれは意味を成していないわ。赤ちゃんの頭の中には
純粋で強いイメージ=像のみがあって、言葉が無い。あなたたちは
逆に言葉はあるけど、イメージがぼやけてるしイメージどうしのつながりが弱い」

「あのっ、どうすればいいんでしょうか私たち・・・
つまりぼんやりした過去の記憶をはっきりさせるには!」
自分たちが赤ちゃんと比べられ、なんだか多少むっとしたアーンスは強めの口調で聞いた。
しかしちょんまげであった。

「ええ・・・経験的な記憶に関してはなんとも言えないんだけど・・・」
サーシャは言葉を濁した。
「・・・それで、まずはここにある慶太の資料を見て100年前、
あなたたちの時代の世界観をいろいろと思い出してほしいの。映像資料もかなりあるようね。
まずはパーソナルな輪郭の不在を補うために、頭の中のイメージを整理してほしいの。いいかしら」

「もう頼まれるまでもなくって感じです。そういう時間がぜひほしかったー!」
アーンスはそういって椅子から立ち上がると、ミコスが続いた。
「早く見たーーい!!この部屋に来たときからあの雑誌とか本が気になってたの!」

2008年組の面々は自分たちの時代の雑誌や書籍、ニュース映像やTVドラマなどをむさぼるように見た。
アリースは週刊誌やファッション誌を次々と見ていった。
「頭に映像がどんどん浮かんでくる。写真や記事の内容から派生してるんだ。
具体的な記憶ではないけれど、意味や雰囲気が自然に分かるって言うか。
感性的にすーっと入ってくるっていうか」
「私確実にこの時代に存在してたわ、うん、間違いない」
TVドラマやニュース映像をみながらマイースが言った。

彼女たちは、もとにいた時代、その時代に存在する人々が共有する“時代の雰囲気”
とでもいうような感覚をだんだんとよみがえらせていった。そして同時代の社会的な
出来事についても思い出していった。
だが相変わらず彼女たちには経験的、そして個人的な記憶はなかった。

「それじゃ今日はこのくらいにしましょう」
黙々と資料に浸る2008年組にサーシャは声をかけた。
「わー、もうこんなに時間たってたんだ!」
大きなまばたきをしてミコスが言った。
気がつけば6時間が経過していた。
「みんな、また明日もよろしく頼むわね」

〜〜〜〜〜〜

2008年組は自分たちの部屋に戻り寝る準備をしていた。
カプセル型の簡易ベッドが5つ並べられた。
「私たちは来るべくしてここに来たのか、それとも本当にただ偶然にここにいるのか・・・」
「どうしたのマイース?」ウルルースが訊いた。
「いやなんとなく・・・自分は何者なのか・・・不思議な感じがしてるのよ」
「来るべくしてここにいる・・・そう考えた方が気分的にはいいわね」
アリースは言った。
「・・・使命を果たして2009年に戻りたいものだ、なんて、きゃは」
とミコス。
「2009年の私たち・・・もとの人物ってどんな感じなのかな?」
そう言ってマイースは天井を見上げた。
「何してたのか・・・わたし・・・学生なのか、社会人なのか?フリーターなのか・・・」
「スポーツ選手とか、アーティストだったり・・・んー、それはないかなぁ」
頭をかきながらウルルースが言った。
「わかんないよー。でも2009年に戻ってみて、“げっ”てのは嫌だなー」
アーンスがそういうとミコスが続いた。
「戻らないほうがよかったー、みたいなね。きゃははは・・・」
「確か私たち慶太君のアニメDVDの音を聞いて目を覚ましたんだよね・・・」
そう言ってマイースは目を細めた。
「実は私たちオタク女子だったりして・・・」
「うっ、ありえる、なんとなくそれありえる」ミコスは言った。
「アキバのメイドさんとかね」とウルルースがにこにことそう言うと、
かぶさるようにアリースが叫んだ。
「きゃーー・・・・それいい!」
「ははは、アキバかーなんだか妙に親しみを覚えるのはなぜだろう」
アーンスは言った。
「そのノリで・・・セカイ系的にいうと・・・」
イースが低い声になって話しだした。
「私たちは偶然にも、共通したなにかの能力を秘めていて選ばれてしまった存在、なわけよ」
「うむ、なるほど。われわれは使命を帯びて今ここにいるのである、うむ」
ウルルースがのってきた。
「では、選ばれた者同志、これからよろしくたのむぞなもし」
「きゃはははっはは」ミコスは転がった。
「あんがい私たちもともと近い環境にいたのかもね、本当に」
というアリースにすぐマイースが答えた。
「ありえるわね」
「とにかく、もとの世界に戻るにはこの艦の人たちの助けが絶対に必要だよね。
エチカってすごくシビアな状況みたいだし、いきなり現れた私たちのこと、
本当は相手にしている暇無いのかもしれない・・・」
アーンスがそういうと転がっていたミコスが起き上がって言った。
「私たちのこと真剣に考えてもらうためにもここの人たちにできるだけ
協力しないと・・・ねっ」
「よーしじゃあ、あしたからのデータ記録、がんばらなきゃ」
アリースがみんなを見ていった。
「そうだね・・・それじゃおやすみなさい」
そう言ってウルルースはカプセルの中にもぐりこんだ。
「おやすみーー」

〜〜〜〜〜〜〜

次の日2008年組はまた多目的スペースに集められた。
個人データの記録を始めるのだった。
今日はサーシャの隣に霞乃子もいた。

「基本項目3000って!そんなにっ!」
アーンスが叫んだ。
「それは少ないほうなのよ、普通その5倍はあるわね」
サーシャは今日も眼鏡に白衣であった。
「生年月日、性別、出身地、・・・髪の毛の質、手のしわの数、歯形、
つめの硬さ、ほくろの位置・・・えっ??」
ウルルースは口をぽかんとさせた。

「そういった細部の特徴も、膨大なデータからの統計的手法によって、あらゆる傾向への関与が証明されているの」
「そう・・・なんですか・・・」
「とりあえず、最低限の基本データとなるものです。初歩の初歩。
それではまだ単純な解答しかえられません」
霞乃子はそういうと目の前の小さなケースを開け、なにやら小型の装置を取り出した。
「この装置を耳の裏にこう取り付けて・・・これであらゆる場面での
脳波データを自動的に記録していきます」
「脳波データだけでも日々刻々蓄積していくことで、個人の適正や行動判断の解答がある程度は導かれるの」
サーシャが言った。
「解答・・・コンピューターに行動すべきことを教えられる」
イースはつぶやいた。
「個人データの濃度や正確度が高ければ高いほど、その時々の最も合理的な判断が何であるか、
詳細な解答が得られるわ」サーシャがそういうとアリースが
「個人データの濃度・・・私たちは経験的な記憶がなくなっているから・・・」
とさびしげにつぶやいた。
「そうね、だから一からデータを蓄積していかないと・・・
『存在レベル』とでもいっておこうかしら、その値がまだ脆弱すぎると
コンピューターによる明確な解析は不可能なの。脳波データの記録は
手間がかからないから常時ONしているのが一般的ね」
「脳波・・・ふむふむ」とミコス。
「脳波記録、発汗記録、マークシート、テキストデータ、夢判断、
カウンセリング、アンケート・・・・個人データの記録にはいろいろな
方法があってそれらを組み合わせることでより正確なデータを蓄積していくことができます。
何を選ぶかは人それぞれですが、そうして集められた個人データが数億人分、
過去の存在も含めて政府の中枢コンピューターに集積されている。
それがデータベースとなって個人の合理的行動が導き出されるのです」
5人は、一定のリズムで抑揚が無く話す霞乃子の声に聞き入っていた。
サーシャが補足するように続けた。
「もっとも困難だけれど、もっとも正確な解答が期待できるのがテキスト形式での記録。
技術と時間における労力やコスト、それからコンピューターやAIによる誤読のリスクから普通、
ほとんどの人は手を付けない。あなたたちにはぜひやってほしいのだけどね。
テキスト形式といっても自由な文体では文脈を読み取ることができない。
テンプレートに添った形で書くのが基本とされてるけど・・・
まあ最初はあまり気にしないで自由に、経験や感じたことを記録してくれればいいわ」
「日記みたいなものかな?ブログを書いてると思えば楽しいね」
アーンスがそういうと、サーシャは眼鏡の位置を整えて説明を続けた。
「テキスト記録でリスクを誘発する一番の要因は実は固有名なの。
つまりそれ以外には存在しない固有のものや人の名前。『日本』や
『富士山』は問題ないわね。確実に一つしか存在しないのであれば
コンピューターは解析できる。有名人であれば人の名前も大丈夫ね。
問題はそのほかの固有名。『ウルルース』は固有名のはずよね。
だけどコンピューターはそれを曖昧だとして固有名とは認識しない。
今の日本では、コンピューターが認識しないのであればそれは固有ではない
という判断をされる。・・・多くの個人は固有であることをやめた。
つまり入れ替え可能な存在、言い方を変えれば、変わりはいくらでもいる
っていうような存在になったの。それを選んだ人のほうが安定した、
しかも満たされた人生を送れる。曖昧な固有性は合理的ではないという判断・・・」
そこまで一気に話してサーシャが息継ぎをはさむと、霞乃子が代わりに言った。
「そういったことが・・・実は政府の誘導ではないかと私たちは見ているのです。
政府にとって都合がいい国民を完成させるための」
サーシャは眼鏡の奥で表情を険しくさせた。
「安住のための徹底した合理性、それを得るために切り捨てられる固有性という代償」