008

人間には根本的に変わらないものがあると思っていた。
そう、知恵や理性、善悪や倫理観。
だからどんな問題に直面しても乗り越えていけるのだと思っていた。
歴史はそのことを物語っているはずだと・・・

本当は・・・人は環境と共に“ただ”変わっていくだけなのかもしれない。

それは分かる。

当然のことだ。

でもそれ以上に変わらないものがあると信じていた。
もしそれが思い込みだとしたら・・・。

人間の理性に本来、普遍的なものなどもとから無かったのかもしえない。
人は環境に合わせて自らを変えていっているだけで
そこに歴史や真理など入り込む余地は無いのかもしれない。

ただ、今に、生存することだけがすべて・・・。

〜〜〜〜〜〜〜〜
2008年組はそれぞれの作業に集中力を注いでいた。
過去と未来の狭間で宙吊りになっているような曖昧な状態に、居心地の悪さを強く感じはじめていた。
個人データの基本項目の記載をするもの、昨日に引き続きニュース映像や雑誌を見て2008年の記憶をより明確にするもの。
自分の立場を明確に位置づけようとする作業が休み無く進められた。

彼女たちの様子を見に、慶太とザノビスが多目的スペースにやってきた。

「みんなお疲れ様・・・」

寡黙に作業する少女たちを見て慶太は少し緊張した。

「“甘いもの”をもってきたんだけどどうかな・・・」

「あっ慶太君だ。ザノビスさんも、お疲れ様です」
ミコスが振り向いてあいさつをした。

「君たちの時代の“お菓子”とか“スイーツ”だったかな?それとはだいぶ違うかもしれないけど・・・今は砂糖菓子が禁止されていて・・・まあ、とにかく休憩しよう」
慶太は円筒形にパッケージされた“甘いもの”を少女たちに配った。
「先端を開いて口をつけたら、末端部分をひねると中身が出てくるよ。ひねり具合で加減できるようになっていて・・・」

「砂糖菓子?禁止、はて?えっと、いただきまーす」
不思議そうな顔をしてアーンスが言い、みんなも“甘いもの”に口をつけた。

「味は保障できないけどね・・・」
慶太がすまなそうな顔をしてそう付け加えるとアリースは慶太のほうを見ながら
「ふうぅぅん・・・お世辞にもおいしいとはいえませんね・・・」
といった。

「確かに“甘いもの”ではあるわね」
苦笑いのマイースが率直な感想を述べた。

「んー、うまからず」
とミコス。

「食べ物も変わったん・・・ですね」
遠慮がちにウルルースは言った。

「砂糖菓子は健康被害と依存性から日本では生産や輸入を禁止された・・・」
ザノビスが言った。

「・・・」

「そういえば気になってたんだけど、みなさん食事はいつもあんな感じなんですか」
ふいにアーンスがいった。

「あんな感じって?」
慶太は言った。

「いつも・・・えっと、つまり個人個人で、なんか黙々と一瞬で食べちゃうっていうか・・・
みんなで同じテーブルを囲んで、会話しながらゆっくり食べたりとかってしないんですか?」
アーンスの質問を受けて、慶太とザノビスは顔を見合わせた。
二人はその疑問の意図を把握できなかった。

「確かになんか・・・食事が、エネルギーや栄養の補給以外の意味はない、そんなふうに見える・・・」
イースが補足するように付け加えた。

「それじゃ点滴と変わらないじゃないですか」
ミコスがトンッとひざをたたいていうと、ザノビスがそれに答えた。
「いや、それとはだいぶ違うな。実際に簡易フードはおいしいからな・・・もちろん栄養価も高い」

「味、香り、食感・・・各個人の嗜好性データから計算されて導き出されたものだから。
僕らにとってうまいに決まってるんだけど」
慶太はそう付け加えた。

「味の好みも数値化されてる・・・デジタル社会が何か分かってきたわ」
アリースが腕を組んでうなづきながらいった。

「デジタル社会・・・か」
そうつぶやいてさびしげな顔をしているウルルースを見てアーンスは言った。
「今度、お夕飯を私に作らせてください。だめですか?それからみんなで一緒に食べましょうよ」
「私も手伝う!」
ウルルースは笑みを見せていった。

「頼めるかな?今度ぜひ試してみよう。・・・われわれ自身、われわれの時代をより知るためにも」
ザノビスは言った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「君たちのシンパシー係数はすでに個人データの解析ができるまでの数値には達した」
PCのスクリーンを見ながらザノビスは言った。
「シンパシー係数??」
とミコス。

同様に慶太もPC画面をスクロールし、数値を確認しながら言った。
「精神が身体に、身体が精神に共鳴する度合いで、シンパシー係数が導かれる。
幼児のシンパシー係数がそうなんだけど、その値が低すぎると個人データの解析が得られないということがあるんだ。まあ、目安みたいなもので、あまり一般的には重要視されていない概念なんだ。肉体と精神の二元論みたいな古い議論につながるからかもしれないけど、最低限の数値を満たしていれば高かろうが低かろうが気にされない・・・」

「だが・・・われわれはシンパシー係数の数値に着目している。シンパシー係数は低いと精神の病につながる。いまの日本人にそれはまず見られない・・・。逆にシンパシー係数の高すぎる人間が日本で急激に増殖している・・・」
ザノビスの言葉が何を意味するか分からなかったが、なにか引っかかるものを感じマイースは言った。
「変わっていく・・・人間も・・・。ザノビスさん、慶太君。私たちの時代と今のこの時代で何がどう、人を変えたんですか。・・・詳しく聞かせてほしいです」

「聞きたいかい」
つぶやくようにそうい言ってザノビスはマイースを見つめた。

「はい・・・」

目覚めた当初とは明らかに違い、表情に落ち着きを見せる2008年組の面々は、姿勢を整えるように椅子に座りなおした。

ザノビスは「あくまでも、私の主観が混じることになるが」と前置きし話し始めた。

「100年前、経済大国だった日本は大国の地位からゆっくりとしりぞいていった。君たちの時代はその初期の段階。
だんだん日本は普通の国・・・いや普通以下の国になっていくところだった。
日本は明確なとりえも無く、なんとも中途半端な国になろうとしていた。経済の優越がなくなった日本には政治的なイニシアチブを取れる要素はなにも残されていなかった。
きみたちの時代はいろいろな意味で過渡期の時代だった。日本の高度成長期はもうずいぶん過去のことになっていただろうし、アメリカに追従しているだけでは立ち行かなくなっていた。世界的にも近代社会の限界があらゆる場面で露呈していたなかで、曖昧な主権国家であった日本は、主体性の確立をもうこれ以上先送りできなかった。
市民的な社会環境もアナログからデジタル社会へ、大きな共同体的社会から細分化した社会へ、それは相互につながることは無く、それぞれに閉じた社会。そういう変化がはっきりしてきていた」

ザノビスの話しに呼応しマイースは言った。
「さっき雑誌を何冊も読んでいたんだけど、財政赤字とか食料自給率少子化、凶悪事件、それから勝ち組負け組とかって言葉がいっぱいでてきた。それを読んでたらどんどんイメージがくっきりしてきたの。たしかに私たちの時代は悲観的な空気のほうが色濃かったと思う。雑誌やニュースで申し訳程度にあるような“未来に対する希望”とかって無理やり捻出したようなものばかり・・・。きっと2109年とはぜんぜん違いますよね」
イースは溜め込んでいたものを吐き出すかのようだった。

アーンスはほおづえを付きながら何かを思い出すような目つきをした。
「言い訳なのかもしれないけど・・・私たちの時代は、もっと前の世代からの付けが回ってきたみたいな・・・年金問題とか憲法改正の問題とかってそういうことよね。報道番組を見てもうわべは立派そうだけど、大人たちは・・・本当はみんな自分たちのことしか考えていないか、自分のことで精一杯だっていう感じがしたよね。余裕がないって言うか・・・」
いつもより低いトーンでアーンスは言った。

「私たちの時代って、多くの人にとって先行きが不安で・・・なのにそれを見ない振りしていたような気がする」
うつろなまなざしをどこに向けるというわけでも無くウルルースはつぶやいた。

「不安な気持ちが、2008年以降ずっとずっと大きくなっていったのかな」
ミコスが悲しげな表情をして言った。

一度記憶を失ったことで、この娘たちは自分たちが関わっていた時代をとても冷静に客観視する能力を身に着けたのかもしれないとザノビスは思った。

慶太は彼女たちの表情をみながら、やはり過去の日本と地続きなのだと確認し、後を続けた。
「日本は社会の細分化が加速していくいっぽうだった。共有するものが無い人とのつながりをリスキーなものだと判断した人々は、閉鎖的になり最終的に個人単位で完結したライフスタイルを求めるようになっていった。人々が求める社会を維持するために国家の機能は巨大にならざるを得ない。でも、財政難の国家にそれは不可能なはずだった・・・それを可能にしたのはサブカライト―エネルギーの独占・・・」

ザノビスは100年の年譜を頭にイメ―ジしながら補足を加えた。
「きみたちが中年・・・すまない・・・中年になっている頃、その頃にはサブカライトはすでに発掘されている。まだエネルギーにつながるものだとは思われていなかったが。M2機関が開発され、実用化されていったのはそれから三十数年後だ」

「そしてここ2109年の日本は他国の追随を許さないほどの大国になっているというわけよね・・・」
アリースはそう言って腕組みをした。

「2109年の日本は・・・正直うらやましい感じもする・・・満たされている感じ・・・」
ミコスがそういうと慶太はすぐに
「それは素直な感想だと思うよ」
と答えた。

一瞬の間をおいて慶太は続けた。
「実際に一部の外国人からも日本人は「スーパークール」だと形容されたりあるいは嫉妬の対象になったりしている。どちらにしろ多くの日本人は優越感に浸っている。」

すぐにザノビスが後を続けた。
「今の日本はある意味、完成された国家だといえる。世界のエネルギー供給の大部分を独占した日本・・・サブカライトの発掘、M2機関の開発を経てその関連事業は揺るぎようのない安定を人々に予感させた。政府はその安定をより強固なものとするため、国家の機能を人類の歴史上かつて無いほどに拡大させた。国民もまた国家の安定を阻害するような行動や欲求を自ら進んで自粛していった。かつてのソ連が独裁者の専制、粛清の恐怖で進めた“一国主義”を、日本は工学的手法による管理体制でスマートに確立した」

息継ぎをはさみザノビスはより目つきを鋭くさせた。
「国家からの国民の管理は『デザイン』という気の利いた言葉に取って代わられた。『コントロール』や『マネージメント』というようにも決して言わない。
個人の自由と民主主義をなんとか両立させるというような、かつてあった政治理念は今の日本では潔く切り捨てられた。
そしていま、自由という言葉はほとんど意味をなくしている。
つまりそれは政府と市民の利害が一致している証拠だといえる」


少しの沈黙が部屋を包んだ。

2008年組が何も言い出さないのを確認して慶太は少し強めの口調で話し出した。

「2109年の日本人は自分たちの余裕と安定、とにかくそれを維持することを何よりも優先させているんだ。
政府による国民の『デザイン』において重要な材料となるのが、膨大な個人データの集積だった。
集められたデータを数値化することでコンピューターでの解析が可能となる。そして超効率的な国民の『デザイン』が可能になった。政府および企業は人間の心理もデジタル化して見ているんだ」

「やだ、そんなの」
ミコスは言った。

ザノビスはミコスを見つめた。
「もう一度確認しておきたいのは、その国家による『デザイン』はほとんどの国民に、かなり好意的に歓迎されているということだ。そしてさっきも言ったが一部の外国人からは、そんな日本人の姿が「スーパークール」だと言われてもいる」

「管理されるのも全然平気で、超冷めてるって意味なのかもね」
イースが言った。

「2109年の日本人は余裕の塊だけど・・・ただね・・・それで達成された今の日本の“民主主義”は誇れるものだろうか」
慶太は自分自身に問いかけるようだった。
「伝統的に自由の概念が重視される国からは、日本の民主主義は、『人間が骨抜きにされた後の末路でしかない』とも言われている・・・」
慶太がそういうとミコスは資料の中にあったドキュメント番組の内容を思い出した。
NHKがグローバル社会の問題点を特集した番組で、ミコスはそれをさっきまで見ていたのだ。
「幅広く世の中を見渡し、別分野の人達がお互いに信頼しあったうえで、身近なことや自分ができることを大切にしていく、みたいな社会とはほど遠いね」
ミコスはなにかを懐かしがるような表情でそういった。

「未来が不透明で余裕の無い私たちの時代の遺伝子を受け継いでいるから、なんていえばいいか・・・狭い心しかもてなくなってしまったのかしら」
アリースは下を向いてそうつぶやいた。

「余裕とか安定とか優越感とか・・・そういうのいいなって思うけど・・・なんか違う気がする」
ウルルースは傾けた目線をしばらく戻さなかった。

歴史、未来、日本、世界・・・そして存在。
頭に浮かび上がるそれらの抽象的な言葉が彼女たちの中でリアルな言葉になっていた。
100年前の世の中で自分たちがどんな存在だったのか、彼女たちはそれを明確に思い出せるようにと、心の中で強く切望した。
慶太とザノビスは彼女たちのただじっと考え込むような表情からその心中を察したが、有効な手立てが無いことを悔やんだ。

お茶でも入れようかと慶太が椅子から立ち上がろうとした時、天井に設置された小型スピーカーから声が聞こえてきた。
『予告も無くどこかの艦がアガルマに接近してくるぞ。すぐにブリッジへ戻ってくれ!』
シーンの緊迫した声だった。

「なに!」
ザノビスは床を蹴るように立ち上がった。
「慶太、戻るぞ!」
「はい!」

多目的スペースをすばやく出て行こうとするザノビスと慶太に向かってマイースが駆け寄った。
「ザノビスさん、私たちもいっていいですか」

「・・・ここにいても危険かもしれない・・・。かまわん、きなさい」

スピーカーから今度は霞乃子の声が聞こえた。

『通信が入りました・・・・・・ジェネ・・・ジェネシズと名乗っています』

007

「サブカライト、M2機関か・・・すごい発見があったわけだ」
アーンスが前髪をちょんまげに結わきながら真剣な目つきをして言った。
「日本が・・・石油枯渇後のエネルギー供給の大部分を独占、軍事力の圧倒的有利・・・」

「大きく変わったよね・・・さすがに100年の時間は並じゃない」
そういいながらマイースは今自分が宇宙にいることを再確認するように思い浮かべた。

少女たち−2008年組のために、2108年までの日本の主だった年譜、2109年現在の社会情勢、
エチカについての概要などをまとめたホームページ『ETHICA』が作成された。
それは慶太がつくたものだった。
彼女たちは2008年組専用の部屋となった補助待機室でそれを見ていたのだった。

「日本は世界の覇権国みたいになったんだ・・・す、すごいね・・・」
ミコスの目は一段と大きくなっていた。
「でもその日本内部では・・・現政府を転覆しようとするセクト?があって・・・
私たちは今エチカの時空艦にいる・・・」
頭の中で状況を整理しながらアリースは、自分たちの時代をはっきりと思い起こそうと試みたが、
どうしてもその輪郭がぼやけてしまうことにいらだった。

「エチカは反政府連盟内の中立的立場・・・なのかな」
ウルルースは少し不安げな表情を浮かべた。

〜〜〜〜〜〜
「ちょっといいかしら」
補助待機室にあかねが訪ねてきた。
「あかねさんだー、どうも」
「こんにちは、みんな調子はどう。重力も空調も調節されてるけど、
完全に地上と同じってわけではないから慣れないと体調を崩す場合もあるのよ。
みんな変わりはない?」
「えっと私は・・・大丈夫です」
アーンスがそういって他の少女たちを見渡すと、「私も」と言うようにみんながうなずいた。
「そう、よかったわ・・・あれ、それって慶太が作ったホームページ?どれどれ・・・」
「あっはい、そうです。いままでみんなで見ていました」ミコスは云った。

「未来を・・・知ってしまった感想は、どう?」あかねはおそるおそる聞いた。
「なんか複雑な気分です、あと頭の中がまとまらないっていうか・・・ただ今の日本は
・・・すごい・・・ですね」
ミコスがそういうと、あかねは目線を下げて一瞬の沈黙となった。
「・・・」

「あかねさん・・・どうかしましたか?」

ウルルースの声であかねはわれに返った。
「いえ、なんでもないの・・・そう、いろいろ頭の中を整理するためにも、
そろそろ個人データの記録をはじめてみないかしら」と笑顔で云った。

「あ、はい」

あかねは2008年組をアガルマの多目的スペースへと案内し、「それじゃ私戻りますね」
と言いブリッジに戻っていった。
多目的スペースには眼鏡に白衣姿のサーシャがいた。
「みんな、待ってたわ。好きな席に座ってちょうだい」
その部屋には長テーブルと複数の椅子、数台のPC、大型スクリーン、あらゆる用途に備えた機材類、
それから慶太のコレクションとおぼしき、過去の時代の書籍や雑誌の資料等があった。

ウェルがどこからともなく現れてみんなに飲み物を配り、またどこかへ去っていった。
「この間ザノビスが言ったように、私たちはあなたたちの個人データと2109年現在の日本人の
個人データを比較検証したいと思っているの。まずは協力に感謝するわ。
・・・それで、個人データの記録について説明する前に、ちょっと確かめておきたいことがあるの」
なにか大学教授かカウンセラーのような面持ちのサーシャが静かに話し始めた。
「今あなたたちは“存在”という観点から見て、かなり曖昧だということ。
自分と世界との距離感がぼやけている状態だと思うわ。自分を確固たる主体として意識するには、
過去の具体的な経験、その記憶に依存しなければならないの。あなたたちは2008年、
元の場所での具体的な記憶が無い・・・そうよね?」
サーシャの口調はやさしかった。
「あるような無いような・・・」
「とても不思議な感覚です」
ウルルースとアリースが催眠にかかったようにおぼろげに言うと、
「どっちかっていうと、ミコスは無いです」自信ありげだった。

「・・・そう。
人は普通、言葉を話すとき同時にイメージも頭に浮かべている。
言葉とイメージは同時進行で喚起される。今のあなたたちの場合、
ぼんやりとした無数のイメージが先にまずある。あなたたちは
そのイメージをつなげていきながらそのつど記憶が少しずつ呼び覚まされ、
文脈をつくり言葉として表現される、そういう時差を伴っている。
ちがうかしら」
“ちがうかしらと言われても・・・”少女たちは一様にそう感じた。
専門家じゃないしこんなふうになったこともないし、マイースはそう思ったが
たぶんサーシャはすでに分析済みなのだと感じ
「ん・・・なんとなくそんな気がします」
とひとまず答えた。
「個人データを取り始めるにはまだちょっと無理があるの。
たとえば言葉が話せなかったり言葉を覚えたての赤ちゃんの
個人データをコンピューターは解析できない。抽象的過ぎるから。
数値化してもそれは意味を成していないわ。赤ちゃんの頭の中には
純粋で強いイメージ=像のみがあって、言葉が無い。あなたたちは
逆に言葉はあるけど、イメージがぼやけてるしイメージどうしのつながりが弱い」

「あのっ、どうすればいいんでしょうか私たち・・・
つまりぼんやりした過去の記憶をはっきりさせるには!」
自分たちが赤ちゃんと比べられ、なんだか多少むっとしたアーンスは強めの口調で聞いた。
しかしちょんまげであった。

「ええ・・・経験的な記憶に関してはなんとも言えないんだけど・・・」
サーシャは言葉を濁した。
「・・・それで、まずはここにある慶太の資料を見て100年前、
あなたたちの時代の世界観をいろいろと思い出してほしいの。映像資料もかなりあるようね。
まずはパーソナルな輪郭の不在を補うために、頭の中のイメージを整理してほしいの。いいかしら」

「もう頼まれるまでもなくって感じです。そういう時間がぜひほしかったー!」
アーンスはそういって椅子から立ち上がると、ミコスが続いた。
「早く見たーーい!!この部屋に来たときからあの雑誌とか本が気になってたの!」

2008年組の面々は自分たちの時代の雑誌や書籍、ニュース映像やTVドラマなどをむさぼるように見た。
アリースは週刊誌やファッション誌を次々と見ていった。
「頭に映像がどんどん浮かんでくる。写真や記事の内容から派生してるんだ。
具体的な記憶ではないけれど、意味や雰囲気が自然に分かるって言うか。
感性的にすーっと入ってくるっていうか」
「私確実にこの時代に存在してたわ、うん、間違いない」
TVドラマやニュース映像をみながらマイースが言った。

彼女たちは、もとにいた時代、その時代に存在する人々が共有する“時代の雰囲気”
とでもいうような感覚をだんだんとよみがえらせていった。そして同時代の社会的な
出来事についても思い出していった。
だが相変わらず彼女たちには経験的、そして個人的な記憶はなかった。

「それじゃ今日はこのくらいにしましょう」
黙々と資料に浸る2008年組にサーシャは声をかけた。
「わー、もうこんなに時間たってたんだ!」
大きなまばたきをしてミコスが言った。
気がつけば6時間が経過していた。
「みんな、また明日もよろしく頼むわね」

〜〜〜〜〜〜

2008年組は自分たちの部屋に戻り寝る準備をしていた。
カプセル型の簡易ベッドが5つ並べられた。
「私たちは来るべくしてここに来たのか、それとも本当にただ偶然にここにいるのか・・・」
「どうしたのマイース?」ウルルースが訊いた。
「いやなんとなく・・・自分は何者なのか・・・不思議な感じがしてるのよ」
「来るべくしてここにいる・・・そう考えた方が気分的にはいいわね」
アリースは言った。
「・・・使命を果たして2009年に戻りたいものだ、なんて、きゃは」
とミコス。
「2009年の私たち・・・もとの人物ってどんな感じなのかな?」
そう言ってマイースは天井を見上げた。
「何してたのか・・・わたし・・・学生なのか、社会人なのか?フリーターなのか・・・」
「スポーツ選手とか、アーティストだったり・・・んー、それはないかなぁ」
頭をかきながらウルルースが言った。
「わかんないよー。でも2009年に戻ってみて、“げっ”てのは嫌だなー」
アーンスがそういうとミコスが続いた。
「戻らないほうがよかったー、みたいなね。きゃははは・・・」
「確か私たち慶太君のアニメDVDの音を聞いて目を覚ましたんだよね・・・」
そう言ってマイースは目を細めた。
「実は私たちオタク女子だったりして・・・」
「うっ、ありえる、なんとなくそれありえる」ミコスは言った。
「アキバのメイドさんとかね」とウルルースがにこにことそう言うと、
かぶさるようにアリースが叫んだ。
「きゃーー・・・・それいい!」
「ははは、アキバかーなんだか妙に親しみを覚えるのはなぜだろう」
アーンスは言った。
「そのノリで・・・セカイ系的にいうと・・・」
イースが低い声になって話しだした。
「私たちは偶然にも、共通したなにかの能力を秘めていて選ばれてしまった存在、なわけよ」
「うむ、なるほど。われわれは使命を帯びて今ここにいるのである、うむ」
ウルルースがのってきた。
「では、選ばれた者同志、これからよろしくたのむぞなもし」
「きゃはははっはは」ミコスは転がった。
「あんがい私たちもともと近い環境にいたのかもね、本当に」
というアリースにすぐマイースが答えた。
「ありえるわね」
「とにかく、もとの世界に戻るにはこの艦の人たちの助けが絶対に必要だよね。
エチカってすごくシビアな状況みたいだし、いきなり現れた私たちのこと、
本当は相手にしている暇無いのかもしれない・・・」
アーンスがそういうと転がっていたミコスが起き上がって言った。
「私たちのこと真剣に考えてもらうためにもここの人たちにできるだけ
協力しないと・・・ねっ」
「よーしじゃあ、あしたからのデータ記録、がんばらなきゃ」
アリースがみんなを見ていった。
「そうだね・・・それじゃおやすみなさい」
そう言ってウルルースはカプセルの中にもぐりこんだ。
「おやすみーー」

〜〜〜〜〜〜〜

次の日2008年組はまた多目的スペースに集められた。
個人データの記録を始めるのだった。
今日はサーシャの隣に霞乃子もいた。

「基本項目3000って!そんなにっ!」
アーンスが叫んだ。
「それは少ないほうなのよ、普通その5倍はあるわね」
サーシャは今日も眼鏡に白衣であった。
「生年月日、性別、出身地、・・・髪の毛の質、手のしわの数、歯形、
つめの硬さ、ほくろの位置・・・えっ??」
ウルルースは口をぽかんとさせた。

「そういった細部の特徴も、膨大なデータからの統計的手法によって、あらゆる傾向への関与が証明されているの」
「そう・・・なんですか・・・」
「とりあえず、最低限の基本データとなるものです。初歩の初歩。
それではまだ単純な解答しかえられません」
霞乃子はそういうと目の前の小さなケースを開け、なにやら小型の装置を取り出した。
「この装置を耳の裏にこう取り付けて・・・これであらゆる場面での
脳波データを自動的に記録していきます」
「脳波データだけでも日々刻々蓄積していくことで、個人の適正や行動判断の解答がある程度は導かれるの」
サーシャが言った。
「解答・・・コンピューターに行動すべきことを教えられる」
イースはつぶやいた。
「個人データの濃度や正確度が高ければ高いほど、その時々の最も合理的な判断が何であるか、
詳細な解答が得られるわ」サーシャがそういうとアリースが
「個人データの濃度・・・私たちは経験的な記憶がなくなっているから・・・」
とさびしげにつぶやいた。
「そうね、だから一からデータを蓄積していかないと・・・
『存在レベル』とでもいっておこうかしら、その値がまだ脆弱すぎると
コンピューターによる明確な解析は不可能なの。脳波データの記録は
手間がかからないから常時ONしているのが一般的ね」
「脳波・・・ふむふむ」とミコス。
「脳波記録、発汗記録、マークシート、テキストデータ、夢判断、
カウンセリング、アンケート・・・・個人データの記録にはいろいろな
方法があってそれらを組み合わせることでより正確なデータを蓄積していくことができます。
何を選ぶかは人それぞれですが、そうして集められた個人データが数億人分、
過去の存在も含めて政府の中枢コンピューターに集積されている。
それがデータベースとなって個人の合理的行動が導き出されるのです」
5人は、一定のリズムで抑揚が無く話す霞乃子の声に聞き入っていた。
サーシャが補足するように続けた。
「もっとも困難だけれど、もっとも正確な解答が期待できるのがテキスト形式での記録。
技術と時間における労力やコスト、それからコンピューターやAIによる誤読のリスクから普通、
ほとんどの人は手を付けない。あなたたちにはぜひやってほしいのだけどね。
テキスト形式といっても自由な文体では文脈を読み取ることができない。
テンプレートに添った形で書くのが基本とされてるけど・・・
まあ最初はあまり気にしないで自由に、経験や感じたことを記録してくれればいいわ」
「日記みたいなものかな?ブログを書いてると思えば楽しいね」
アーンスがそういうと、サーシャは眼鏡の位置を整えて説明を続けた。
「テキスト記録でリスクを誘発する一番の要因は実は固有名なの。
つまりそれ以外には存在しない固有のものや人の名前。『日本』や
『富士山』は問題ないわね。確実に一つしか存在しないのであれば
コンピューターは解析できる。有名人であれば人の名前も大丈夫ね。
問題はそのほかの固有名。『ウルルース』は固有名のはずよね。
だけどコンピューターはそれを曖昧だとして固有名とは認識しない。
今の日本では、コンピューターが認識しないのであればそれは固有ではない
という判断をされる。・・・多くの個人は固有であることをやめた。
つまり入れ替え可能な存在、言い方を変えれば、変わりはいくらでもいる
っていうような存在になったの。それを選んだ人のほうが安定した、
しかも満たされた人生を送れる。曖昧な固有性は合理的ではないという判断・・・」
そこまで一気に話してサーシャが息継ぎをはさむと、霞乃子が代わりに言った。
「そういったことが・・・実は政府の誘導ではないかと私たちは見ているのです。
政府にとって都合がいい国民を完成させるための」
サーシャは眼鏡の奥で表情を険しくさせた。
「安住のための徹底した合理性、それを得るために切り捨てられる固有性という代償」

006

「みんなよく似合ってるねー」

エチカの制服に着替えた5人の少女たちにあかねは笑顔で声をかけた。
それはあかねや霞乃子が着る制服とは違い、鮮やかなシルバーとピンクを配色したタイプだった。
数日後、ザノビスを訪ねアガルマに来客があるため、少女たちはエチカの構成員を装わなくてはならなかった。北九州市で行われた反政府連盟共闘会議で、ザノビスは彼女たちのことを誰にも伏せていた。それはただセンセーショナルな話題の提供以外になにも意味しないだろうと思われたからだった。

「なんか気分出てきたー、きゃは、かわいいねー」
ミコスは無邪気にくるっと回った。

「かわいい・・・はぁ」
アリースは悩ましげに瞳を潤ませた。
少女たちはみな一様にうれしそうな顔を見せた。

あかねは彼女たちの言う「かわいい」という言葉の使い方に違和感を覚えた。
反政府組織の制服に「かわいい」という言葉はあまり似合わない、そう感じたのだがすぐに、彼女たちにはもともと関係ないことだものね、と思った。
一方慶太はニコニコしながら、「かわいい」という言葉にも素直にうなずいていた。
慶太は鮮やかなこのタイプの制服が好きだった。

「これってなんだか・・・コスプレみたい・・・だね」
ウルルースは少し恥ずかしそうに照れ笑いした。

「確かに!そうかもしれない。そうだ、これコスプレだよー」
アーンスがそういうと、
「だよね」
とマイースが笑みを浮かべながら即答した。制服を着た瞬間からそう思っていたようである。
彼女たちはいっそうの笑顔を見せていた。

「ハハハッ、コスプレかー、ハハハハハ」
一緒になって楽しげな慶太を見て、あかねは「コスプレ・・・?」と不思議に思うと同時に、少し悲しげな顔をした。

あかねや霞乃子、サーシャは地味目の制服を着ていた。現在エチカがおかれている立場を考えるとそれは当然であったかもしれない。
エチカがまだ指名手配される前、この鮮やかな制服はイメージアップや宣伝のために準備されたものだった。お蔵入りとなっていたところ、100年前の普段着でトリコマレた少女たちのために、思わぬ出番が回ってきたというわけである。

「そろそろ時間ね、さっ、慶太行くわよ」
腕時計を見てあかねが云った。
ザノビスから共闘会議の内容について報告があるため、ブリッジに集合する時間であった。

「おっと、じゃあみんなまたあとで・・・君たちの今後についても・・・話があると思う」
慶太は少し神妙な表情を見せてしまった。
それは少女たちに一抹の不安を感じさせた。


〜〜〜〜〜〜〜
ブリッジでミーティングが始まった。クルーたちは中央に集まり、いつも決まったポジションに腰掛ける。

「まずフォトンベルトに潜伏するものを専門に取り締まる公安特別警察の存在、その噂は本当だった。先日、テウカウ派の艦が追跡を受けたらしい」
クルーたちの険しくなった顔を順に見つめ、ザノビスはつづけた。
「まだフォトンベルトでの経験はわれわれに分があるから、物理的な接触もなくひとまず逃れられたようだが、今後、次第に脅威となることは間違いない。敵はグラナダ級の巨大な艦だ。通信で警告とともに『ジェネシズ』と名乗ったようだ」

グラナダ級、ジェネシズ・・・M2機関兵器は当然搭載しているでしょうね」
サーシャがつぶやいた。

「だろうな」
すぐにシーンが答えた。

「われわれの艦も武装を強化しておく必要がある。霞乃子、そっちはどうだ」
「手配はすんでいるわ」
霞乃子はエチカに協力する地下組織にアガルマの装備を要請していた。
それから、スーパーサブカライトのデータをもとに、その最大エネルギーを許容できるM2機関の設計理論を提示し、製造の依頼もしていた。
霞乃子はスーパーサブカライトの覚醒をただ祈るばかりだった。
そうでなければ新しいM2機関の搭載は無駄に終わる。
M2機関を開発した元ACOの技術者たちの約半数が反政府連盟に存在しているため高度な技術提供が得られたのだ。その技術は政府の研究機関を上回るほどであった。

ザノビスは報告を続けた。
「次にボルスの工場爆破計画だが・・・やはり決行することが決まった」
国内軍需産業最大手の半公営企業がボルスである。
国際連合からも脱退し永世中立を宣言している日本政府はしかし、後発の高度資本主義国に「全世界の武力の均衡化」と称して強力な兵器を次々と輸出していた。もちろんサブカライトとM2機関兵器に関しては別である。日本は自国の完全な有利のもと、偽善的な外交政策をとったが、その見え透いた態度に対し、有効な反撃を図る国は無かった。
日本から武力援助を得ている国では例外なく過剰なナショナリズムの勃興が見られた。

野党第一党ACOが輸出目的の軍事産業の即時撤廃を訴えているが、政府は聞く耳を持たない。
業を煮やした反政府連盟は以前から計画していた作戦を実行に移すこととなったのだ。

「声明なしで一週間後、まずボルスの静岡工場をランセーズが中心となって爆破する。すぐに声明は日本政府へ向け発表されるが適切な対応がない場合、別の工場をテウカウ、菊丸両派が爆破する。おそらく目標はボルス最大の茨城工場になるだろう。エチカは作戦には直接参加しないが、声明は反政府連盟全体の意志となることを会議で確認した・・・人的被害に及ばない限りでだが・・・。」

エチカは当初から作戦に否定的だった。しかし共闘に反対すれば、エチカは日本政府のみならず反政府連盟を即刻敵に回すことになるだろう。サブカライトを所持しフォトンベルトに逃亡する組織の一つとなった時から、エチカは苦渋の決断を余儀なくされていたのだ。

クルーの表情はいっそう険しくなった。

共闘会議ではもう一つ、大きな話が持ち上がった。
菊丸派のイデオローグ菊丸翔道から、“九州全体を反政府連盟の自治区にする”という案が出されたのだ。
場内にざわめきが走ったという。各有力セクト内では近似の案がすでに議題に上っているようであったが、現段階の共闘会議において話される内容として時期尚早であることは明白であった。
それを知りつつ、菊丸をもってして先走らせるのは、セクトの主導権争いが根にあるからだろうとザノビスは言った。
九州奪取の具体的な方法などはもちろん話されなかったという。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ところで慶太、彼女たちの様子は・・・どうだ?」
ひととおり共闘会議の報告を終えたところで、ザノビスが聞いた。

「今のところ・・・元気というか楽しそうです」

「きっと、すぐ元の世界に戻れると思っているわよね・・・たぶん、解離についてもちゃんと分かっていないと思います。私だってもちろん正確に理解できないけど。」
あかねが言った。

「特殊な状況に置かれて一時的に記憶がなくなってる、そう思ってるんじゃないかしら」
そのサーシャの予想はたぶんあたっているだろうとみなが思った。

「早めに話してやったほうがいいんじゃないか」
当初それほど興味のなさそうだったシーンも同情を感じていた。

「・・・そうですね」
慶太はうつむいて云った。

「まず解離した元の人物―ホストパーソナリティーを2009年の地球上から探し出すことは困難を極めるということ。けど・・・これは完全に不可能というわけではない」
サーシャは事実確認を始めた。

「その元の人物たちは、解離した別の精神が未来で物体化しているなんて夢にも思わないで、いまごろ普通に生活しているのよね・・・」
あかねはいつものように素朴な想像をした。

「元の人物が見つかったとして、次に、彼女たちが元の人物の精神の中へ戻る方法を解明できるあてが、いまのところまったく無い」
サーシャがそう言うと霞乃子が
「トリコマレの原因となったスーパーサブカライトの本来のエネルギーを引き出せない限り、余計その可能性はなくなる」と淡々とした口調で言った。

「だけど・・・もっとかわいそうなのは・・・」
あかねは言うのをためらいつつ、続けた。
「もともとサブパーソナリティーとしての精神だった彼女たちが元の人物の中に戻るということは・・・今は存在している彼女たちだけど・・・いなくなっちゃうってことよね・・・ほとんど・・・完全に」

慶太は歯を食いしばるような顔を見せた。

「そう、そしてホストパーソナリティーの意識の隅で彼女たちの意識は、かすかな夢の記憶のように残る程度よ・・・」
サーシャは目を瞑りながら話していた。

「・・・そのことだけは今は・・・まだ言わないでください・・・」
慶太の声は少し震えているようだった。
慶太にとっては奇跡的でこの上なく貴重な出会いであるはずだった。
しかし彼女たちの存在自体がこの上なく曖昧でそして悲劇的であった。


「・・・・・」

ブリッジは時間が止まったように静かになった。

〜〜〜〜〜〜
ザノビスの指示で、ウェルがブリッジに5人の少女たちを連れてきた。
少女たちはブリッジの巨大なメインモニターに映るフォトンベルトの幻想的な世界を見て
言葉を失った。
「・・・す、すご・・・」

慶太が中心となり、トリコマレた少女たちの現状が詳細に伝えられた。
ただやはり元の精神の中に帰ることが、彼女たちの消滅を意味するということは伝えなかった。
もしも帰る術が解明されるなら、そのときがそれを伝えるタイミングであり、今のような現状では告げることに積極的な意味はないであろうという結論が出たのである。

少女たちは慶太の説明を聞きながら、パズルのピースをはめ込んでいるような目になった。
しかしなかなかほしいピースは見つからなかった。

「ということは・・・私たちって誰かの分身みたいなものなんですか?」
ウルルースがきょとんとしながら言った。

「・・・そういうふうにも言える・・・かな・・・」
慶太が複雑な心境でそう答えると、ミコスは上のほうを向き人差し指で何かを確認するようにしながら

「じゃあ、あっちの世界ではちゃんと元の私たちが生活しててくれるから、すぐに戻らなくてもいいんだ。・・・っていうよりだいたい戻る方法がわからないんですよね?」
と云った。

「そうなんだ・・・」
慶太がそう答えると、しばらくのあいだ沈黙が続いた。



「記憶がぼんやりとしすぎてて、戻る場所がどこなのか・・・戻る場所がほんとにあるのかさえイメージできない・・・」
アリースは遠くを見るように云った。

「なんだか“どうしても戻りたい”っていう気持ちがわいてこないのは、なぜかしら・・・」
そう言うマイースに、実体としては存在していなかったからだろうと思ったが、サーシャそしてザノビスも口に出すのをやめた。

「この状況じゃ何を考えればいいのかすら分からないかも・・・」
アーンスは組んでいた腕をほどいた。
そしてまたしばらくのあいだブリッジは沈黙となった。



「でもまあ・・・」
ふいにマイースが言った。
「ここに来た回路があるのなら、戻る回路もきっとあるんじゃないの」
妙に説得力のある口調だった。

「スピカ・・・でしたっけ、そのスーパー量子コンピューターが頼りですね!!ふむふむ」
続くアリースは興味津々といった目つきをした。

ものすごくポジティブだ、と思いながらザノビスは彼女たちを見た。

「とにかくしばらく厄介になるんでしたら、ただでいるわけには行かないので・・・何か仕事をください!掃除とか洗濯とかしちゃいますよ!」
真剣な顔でそう言うアーンスに、すぐザノビスが返答した。
「いや・・・われわれが2008年時空に行かなければ、トリコマレは起こらなかった・・・だからここにいることを気にする必要は無い・・・だが少し協力を頼みたいことがあるんだ」

「なんですか?」
ウルルースが訊いた。

「君たち100年前の人間の細かいデータを解析したい」

「データ・・・?」

「われわれの暮らす2109年では個人のデータをコンピューターに解析させ、その個人にとって、もっとも合理的で効率の良い選択を導くということが日常的に行われている」

「あの、もしかして知能テストとかしますか・・・。私あんまり得意じゃないけど・・・」
ミコスが眉毛をへの字にして云った。

「知能のような能力的なこととはべつに、1億数千万の個人の細かい行動パターン、心理、嗜好性などの膨大なデータが毎日集められデータベースとして蓄積されている。それをもとにコンピューターが個人の合理的行動を計算処理している」
ザノビスの説明を引き継ぐようにサーシャが訊いた。
「たとえば今日の朝食で何を食べるのがもっともふさわしいか、あなたたちはどう決める?」

「ふさわしいとかはあまり考えないと思う・・・気分・・・かな?」
ウルルースがそう答えるとザノビスが云った。

「2109年の日本人は、合理性で決める。寿命から逆算した健康状態の維持、脳の活性化、精神の安定化、その日によって何がふさわしいかがデータベースから導かれる」

「寿命から逆算って・・・自分の寿命が分かってるの?」
アリースの目は点になった。

「さまざまデータによって、生まれ出た瞬間に寿命の日時を計算できる。ちなみに私の自然寿命は2168年の11月2・・・・」

「わわわ・・・言わなくていいです」

「自分の寿命がそんなにはっきり分かってたら、細かく計画立てて合理的に行動したくなるのかもね・・・」
イースが声のトーンを落として言った。

「スピカに寿命を計算してもらうかい」

「やめときます!」

「2109年の日本人には寿命までの予定、たとえば2万日なら2万日、すべての日の行動予定を立てている者も少なくない。無駄な時間が無い、合理的な行動予定を」

「き、きもい!」
アーンスは奇声を上げた。

“キ・モ・イ?”
クルーたちの知らない言葉だった。

「毎日こまめに正確なデータを記録すればするほど、正確な解答が導かれる。逆にデータが正確でなければ誤った解答が帰ってくるのだが・・・」
話が詳しくなりすぎるとややこしく思うだろうと、ザノビスは途中で止めた。

「それで、私たちの細かいデータを解析してどうするんですか?」
ウルルースは訊いてみた。

「現在の人間のデータと比べてみたいんだ。現在の・・・2109年の日本人の認識や感性はどこかで誤ってしまった、その結果だというように思えてならない」

「とにかく、朝ごはんに何が食べたいかとかを毎日記録すればいいのね・・・あれ、違ったかなぁ・・・まあ、そんなことでいいならぜんぜんやります」
ミコスがハキハキとそういうとみんなも続いた。

「協力しますよー」

「わたしもしまーす」

「・・・ありがとう・・・ちなみにここにいるわれわれはみな、幼い頃にはすでに個人データの記録も、データベースとコンピューターによる行動判断にもあまり関心をもてなかった。2109年ではごく稀な変わり者かもしれない。それが災いしたのか、いまでは指名手配されてる身だ」

「悪い人たちには見えませんよ・・・逆に変わり者で良かったです。2万日の行動予定を立ててる人じゃなくて・・・安心しました」
アリースがそう言うと少女たちはみな渋い顔をして「うんうん」とうなずき、そして顔を見合わせて笑みをこぼした。

慶太は安堵のため息を漏らすと同時に、目を潤ませた。

005 2008年組

フォトンベルト内のM2機関と地上のM2機関との間に人工フォトンを発生させることにより、光学迷彩を施した時空艦は、探知されることなく時空間移動を行えた。

フォトンベルトに逃亡した指名手配中の反政府連盟は密かに、それも容易く地上と宇宙を行き来していたのである。

2109年時空に戻ったアガルマは直ちに人工フォトンを経由して地上に向かった。

北九州市にある反政府連盟の集会施設では非公式に共闘会議が行われており、
ザノビスとシーンはその会議に参加しなければならなかったのである。

日本国は形式的に民主主義の国であるため―しかしほとんどの国民にとって政府の堅い計画経済あるいは超福祉政策は空気のように当然の環境であり、民主主義の理念は、あってないようなものであるが―、反政府連盟の存在および政治活動は合法的な範囲で建前として認められていた。

反政府連盟の公式的な会議は頻繁に行なわれていたのだが国民の関心はとても薄かった。
一方、私的なサブカライトの所有が禁止されて以来、指名手配となりフォトンベルトに逃亡した組織が参加する、今回のような会議は非公式で行なわれていたのである。

ザノビスは会議の中で、フォトンベルトの果て―2008年時空への渡航を成功させたこと、そしてスーパーサブカライトの反応値データ88%の収集ができたことを告げた。

「これが反応値のデータです。通常のサブカライトの約80倍のエネルギーを示しています。それから、これまで未確認の電磁波や粒子線も観測されました」

それに対し有力セクトの一つ、ランセーズの福永一樹が訊ねた。

「それはすばらしい功績でしたね・・・、しかしスーパーサブカライトの覚醒は特別な環境化でのみ可能だという話を聞いたことがありますよ・・・、それが2008年時空だと。ただし2008年の時空はすでにフォトンベルトには存在しませんし、なにより現存の場、それも地球上でその威力が実用化されなければ意味を成しませんね。実用化のめどは付いているのですか?」

まったくめどは付いていなかった。むしろ絶望的であった。
しかしザノビスはそう問われることをすでに予想していた。
直接的な返答を避けつつ話を転換させ、逆に反政府連盟の共闘において、今後一番の争点となるであろう問題を持ち出した。
スーパーサブカライトが驚異的なエネルギーを宿しているというデータが証明されたこと自体に、対政府との交渉において意味をなすことだと考えられますが、いかがでしょう。さて、福永氏は今、実用化ということをおしゃられていましたが、福永氏の言う実用化とは何を意味しているのでしょうか?それは兵器に関することですか?」

「はははは、どうでしょう、色々とありますでしょうが・・・それも踏まえてということです」

“実力行使の路線は変更していない・・・多分テウカウ派そして菊丸派も”

〜〜〜〜〜〜〜〜

アガルマではサーシャと霞乃子がスーパーサブカライトの組成を分析していた。

ついで2008年上で計測したスーパーサブカライト本来の反応値データをもとに、その驚異的なエネルギー制御が可能なM2機関の改良を急いでいた。

データをもとにスーパーコンピューター・スピカの計算から導かれる設計図によればM2機関の改良はそう難しいことではない。

スーパーサブカライトをコントロール可能なM2機関が完成すれば、今後の政府との交渉は有利に働くはずであった。

だがそれには重大な課題が残されていた。

スーパーサブカライトが本来の反応値−威力を示すのはなぜか2008年上だけである。

すでにフォトンベルトは2008年から過ぎ去っていた。

本来の反応値を引き出さない限りスーパーサブカライトは、劣化しないことを除くと通常のサブカライトとなんら変わらないのである。

スーパーサブカライトの眠ったエネルギーを呼び覚ます原因、それを究明することが急務であった。

しかしスピカによれば、それは絶望的に困難であると解答されたのだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜


医務室で慶太は一向に目覚めようとしない少女たちを見ていた。

「死んでいるように動かないな。ずっとこうなのか?ウェル」

「ゼンゼン ウゴカナイ」

対照的にウェルはいつものように宙に浮きながらクルクルと回転していた。

100年前の世界を知っている存在、慶太にとって彼女たちは憧れの対象であった。

サーシャが言うようにこの娘たちは目覚めないほうがいいのかもしれない。

自分たちの状況を受け入れるだけでも相当な苦悩を背負うことになるだろう。まして、目覚めたとしてそれからこの娘たちはどうなる?

「ケイタ ゲンキダセ」

ウェルが声をかけた。

慶太は気の抜けた表情で100年前のアニメ雑誌のページをペラペラとめくっていた。

レトロショップで購入した慶太のコレクションの一つである。

アニメ雑誌には付録のDVDがついているのだが、コレクションとしての価値が下がるため、慶太はいまだ未開封にしていた。

いつまでも横たわるだけの彼女たちを目の前にして、やりきれない気分を解放しようと慶太は思い切ってDVDの包装を開封した。

「このDVDは100年の眠りから、いま目覚めるのだ」

照れ隠しのようにわざと大げさな口調で言って、慶太はこれまたレトロなポータブルプレーヤーにDVDをセットした。

しばらくしてアニメのオープニング映像が軽快なテーマソングとともに流れ始めた。

いわゆる戦闘美少女系アニメの映像に、慶太は一瞬にして見入ってしまっていた。

『あなた結構やるわねー、じゃあこれならどうかしら!くらえー』

『うあっ…、なんて攻撃!?こんなのまともに食らったらひとたまりもないわ!』

色鮮やかなコスチュームのキャラクターたちの荒唐無稽なアクションが展開された。

慶太はレトロアニメのキャラクターたちの独特な声色が好きだった。

『ひゃっひゃっひゃっー。もがき苦しむがいい!!』

『やばいっ・・・やられる。もうだめ・・・』

『調子に乗るのも、そこまでだよっ!』

『げげっ、なに奴!?』

“えっ、ちょっと何・・・”

『シスター仮面さまっ!!助けに来てくれたの!』

『何とか間に合ったようね。さーてもうあんたの好きにはさせないわよっ!』

『なぜ!?おまえがここに・・・おまえはアーメンオーメン様に眠らされていたはず!?』

“ここはどこ・・・?”

『マジカルスーツのおかげでアーメンオーメンの魔術の効きが半減していたようね』

“うあー、よく寝た・・・あれ、ここどこ?”

『く、くそー、こうなったらお前をこの手でほうむりさってやる!』

“あなた方はどちら様・・・ですか?”

『やれるもんなら、やってみなー!』

“って、私何でこんなところで寝てるの、記憶がないんだけど・・・あのーすいません”


「ん!?」

アニメに夢中になっていた慶太が、やっと画面のセリフ以外の声に気がついて振り返った。

「・・・すいません、あの、ここはどこですか?」

さっきまで死んだように寝ていた5人の少女たちがベッドから起き上がり、きょとんとした顔あるいは不安げな顔をして慶太を見ていた。

「ああああ・・・あわわわ・・・やなななな・・・」

動揺しすぎて何も返答できず、慶太はただ不気味な表情を浮かべ、まごついた。

「やだっ、ひょっとしてここって・・・ヘンタイさんのお部屋ですか・・・?」

一人がそういうと少女たちは一斉にニガイ顔になった。

「あわわわわわわ・・・ちちち違います、違います!」

慶太は必死に身振りを加えて否定した。

「・・・そんなコスプレしてアニメ見てますけど・・・?」

「えっ、あわわ・・・・・・あっ、そうか・・・」

慶太は自分が着るエチカの制服を手でなぞり、そしてアニメが流れるDVDプレイヤーをあわてて停止した。

「・・・あのホントにここどこですか?」

「そ、その・・・き、君たちは気を失って倒れていたんだ・・・ここは医務室だよ」

「気を失っていたの・・・わたしたち?」

「そうなんだ・・・もう半日以上・・・、何から話せばいいのか・・・とにかくいろいろと話さなければならないことがあるんだけど・・・トトトトリコマレてしまって・・・えっと・・・」

すべて話したほうがいいのか?・・・慶太は落ち着くよう自分に言い聞かせ、すぐにできるだけさわやかに振舞った。

「ゆっくり話すよ。そうだウェル、彼女たちに何か飲み物を持ってきてくれるかい。それからみんなに・・・あっザノビスさんとシーンはいないのか・・・意識が戻ったことを伝えてきてくれないか」

「オーケー マカセロ」

ウェルは宙に浮いてクルクルと回転しながら医務室を出て行った。

その様子を見て五人の少女たちは目を丸くした。



〜〜〜〜〜〜〜

「ホントに私たち今未来にいるの!?」

サーシャと霞乃子とあかね、そして飲み物を運んできたウェルが医務室についたとき、

慶太は大筋のことを彼女たちに説明し終えていた。

「ええ、本当よ。こんにちは、私はサーシャ・夏目といいます」

「美咲霞乃子です」

「三田倉あかねです」

「あっ・・・ど、どうもこんにちは・・・」

少女たちは医務室に入ってきたサーシャたちに会釈した。

「慶太、彼女たちには・・・どこまで話をしたの?」

「はい・・・、ここが2109年であること、彼女たちが誰かから解離した存在で、この艦になぜか迷い込んでしまったこと、あと僕が100年前の世界にあこがれていること・・・までです」

彼女たちが元の精神、そして肉体に戻ることは限りなく困難である、というスピカの解答については話していないのだとサーシャは悟った。

「そう、あなたたちはとても特殊な空間からここに迷い込み、特殊な存在として今ここにいるのよ」

少女たちは、何度か深くうなずき、そして瞳を輝かせていた。

あかねが少女たちの反応を見てすこし不思議に感じながら、

「とんだ災難だったわね。いきなりこんなことになっちゃって」

と確かめるように声をかけた。

「あっはい・・・、そうですね・・・でも・・・すごいですよね、なんか・・・指名手配の未来の宇宙船の中にいるなんて、きゃはっ・・・すごいね私たち」

一人の少女が落ち着かないように髪の毛をいじりながらそういうと、ほかの少女たちが微笑んだ。

「うん、すごい・・・かっこいくない?アニメの世界みたい・・・なんちゃって」

別の少女がそうつぶやいた。

あかねはいよいよわけがわからなくなった。それはサーシャと霞乃子も同様であった。


ただ一人慶太は少女たちと一緒になって微笑んでいた。

「でも、やっぱりまだ信じられない・・・ホントにここって100年後の未来なの?」

「もうすぐザノビスさんとシーンが戻ってくる。そうしたら宇宙に戻りフォトンベルトに入るんだ。きっと実感がわくと思うよ」

慶太は笑顔で少女たちに語りかけた。

「わー!よくわかんないけど、なんかドキドキするー!!」

不可解だけど、ふさぎこんで泣きじゃくるよりはまあ何倍もましね、サーシャはそう思うと同時に彼女たちのはしゃぐ姿をながめながら穏やかな気分にさせられるのを感じた。



〜〜〜〜〜〜

シリアスな内容の反政府連盟共闘会議から戻ったザノビスとシーンはまず彼女たちの意識が戻ったことを知りおどろき、また、そのまさかのはしゃぎように面食らった。


「とにかく地上に長くとどまるのは危険だ。すぐにフォトンベルトに向かおう」

「はいっ」

エチカの面々は足跡一つ残さず、光学迷彩を施したアガルマで人工フォトンを経由し、
また宇宙へ旅立っていった。

公安警察が彼らの足取りをつかむのは、至難の業であろう。


*******

安定圏内に入ったころ、慶太はアガルマを自動操縦に切り替え、五人の少女たちのいる補助待機室を訪れた。

実体として存在していなかった5人の少女たちは名前を持っていないのでは?そう思いながら慶太は彼女たちに「何て呼んだらいいかな」と尋ねた。

彼女たちは意外なほどあっさりとそれぞれの呼び名を順に名乗った。

その名前はさっきまで忘れていたのに聞かれた瞬間、不思議な感覚とともに、ふっと脳裏に浮かび上がったのだという。

アリース

ミコス

ウルルース

アーンス

イース

004

アガルマの医務室でサーシャとシーンは「侵入者」たちの様子を見ていた。

「気がつかないわね・・・それどころかピクリとも動かない。もう3時間経つけど・・・この娘たち、何者なの?」

「さあな・・・」

疑念が膨らむいっぽうのサーシャとシーンの目の前では、侵入者と呼ぶにはいささか迫力に欠けた5人の少女たちが、医務室のベッドで横になり、みな一様に目を閉じて涼しげな顔をしている。
身分を特定できるようなものは何も所持していなかった。

「実際のところどう考えてる?サーシャ。こいつらのこと・・・」
シーンが目つきを鋭くさせてサーシャを見た。

「たぶん」と前置きしてサーシャは続けた。
「異星人からのコンタクト」

「おい、冗談が似合ってないぜ。まじめに答えてくれっ」

「あら、ごめんなさい。そうね・・・いろいろ考えられるけど」

シーンはゴクンとつばを飲み込んだ。

「日本政府の線か・・・反政府連盟のセクトの線。」

セクトが?政府の追っ手という線はもちろん俺も考えたけど」

セクトによる地上でのオルグ活動はまた活発化しているようだし、それから後々の党派争いをみこしての動きのひとつかもしれない」

「だとしたらランセーズ・・・いやテウカウ・・・菊丸派かっ!?」

「わからないわね、どこも可能性あるわ。それからまだ理由がある。私たちの艦が持つスーパーサブカライト。」

スーパーサブカライトか!?」

「まだその価値は未知数だけどその存在は反政府連盟も日本政府も、もちろん知っている。そしてすでに何らかの可能性を感知しているかも知れない。」

「とにかく俺たちの艦に侵入者が現れることに、なんら不思議はないってことだな。理由はいくらでもあるか。」

「それから日本政府だけど最近、時空内の反政府連盟に対して公安特別警察を組織したといわれてるのよ」

「ほー、ただの公安じゃなさそうだな」

「それにしても・・・」
サーシャは一向に目を覚まそうとしない少女たちに目をやった。
工作員の類にはどうしたって見えないわね。彼女たち。」

「まあな・・・。どうやってこのアガルマの中に入り込んだんだ。しかもあんな格好で。普段着だろ、どう見ても」

フォトンベルトでは物理法則を飛び越えてしまうことがままあるわね。見た目で判断はできないわ。油断を誘う常套手段でもあるし」

「うむ・・・。そういえばエンジンルームでこいつらを発見したとき、慶太が変なことをいっていたな…こいつら、服装からして2008年上の存在じゃないかって・・・」

「え?それこそいったいどうやってアガルマに入り込めるのよ。だいたい2008年の時点でフォトンベルトの存在自体発見されていないのに」

「たしかにそうだな・・・」
シーンは苦笑いを浮かべ、頭の後ろで手を組みながら天井を見上げた。

「それにしても、ザノビスはまだ艦長室に閉じこもったままか」

シーンがそう言うのと同時に医務室のドアーが開いた。
ザノビス、そしてウェルも一緒だった。
「すまん、待たせてしまったな」

いつもと特に変わらない落ち着いた表情のザノビスに向かって、せかすようにサーシャがたずねた。
「それで何か分かった?スピカの解答は?」

「おおよそのことは・・・。ひとまずブリッジに戻ろう、ここはウェルに見ていてもらう。多分危害は無さそうだ」

シーンは少し唖然とした顔でザノビスを見た。
「本当に大丈夫かよ?油断し過ぎじゃないか?」

「ココハマカセロ モンダイナイ」

シーンは口をぽかんとさせ、そしてウェルのほうへうなずいて見せた。
「・・・・・」 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アガルマは安定値を保ったまま2048年の時空を通り過ぎようとしていた。
ブリッジで慶太、あかね、そして霞乃子は、それぞれに医務室に寝ている侵入者たちのことを考えていた。
ブリッジのドアーが開きザノビスたちの姿が現れるのを三人はいっせいに振り向いて見た。

「みんな集まってくれ」
ザノビスがそういうとクルーたちはブリッジ中央に集まり腰を下ろした。

みなの目線が自分のほうへ揃うとすぐにザノビスは話し始めた。
「まず、彼女たちはわれわれに危害を加えようとする存在ではないようだ」

「何者なの」サーシャが訊いた。

「あの娘たちの生命データからスピカの計算と私の推論を重ね合わせた結果・・・」
話しながらザノビスは一瞬慶太のほうを見た。
「彼女達は2008年の存在のようだ。」

慶太は顔色を変えなかった。

サーシャとシーンは顔を見合わせ、あかねと霞乃子は眉間にしわを寄せた。

誰も言葉を挟まないのを確認しザノビスは続けた。
「ただ正確には『存在』と呼べないのかもしれない。彼女達は2008年に実在するある人物の精神の中で、解離が生んだ別人格、それが物体化した特殊な存在である可能性が高い。そして・・・」

「ちょ、ちょっとごめんなさい。あの、まったくわかりません」
あかねがあわてて口をはさんだ。

「すまん。そうだな・・・多重人格という言葉は聞いたことがあるだろう。多重人格は解離のひとつといえる。しかし解離はもっと一般的な精神の現象でもある。人は精神の許容範囲をこえた出来事や心理状況に出くわしたとき、無意識の中でその感情を切り離す。これが解離だ。もっと身近なところでたとえば、何度も繰り返し決まって同じ言葉、単語を忘れてしまうことはないか?今度は忘れないようにしようと思っても、次の日その言葉だけはどうしても出てこない。こういった記憶に関する現象も解離が関わっているかもしれない・・・」

「んー、それで、あの娘たちはその解離が生んだ、何者かの別人格ってこと?」

「そうだ、しかもその別人格が宿主の精神からも肉体からも解離し、地上を離れ、フォトンベルトで物体化し、そしてこのアガルマに取り込まれた。」

「それこそ私の精神の許容範囲を超えた話ね」あかねがそう言うとシーンが「まったくだ」と続いた。

「われわれが所有するスーパーサブカライトと彼女たちとの異常な反応、それからフォトン−光子の作用、それらが複雑に絡み合って何十億分の一の確率で起きたようだ。」

スーパーサブカライト・・・」
霞乃子がやはりそうつぶやいた。

「それで、彼女たちはこれからどうなるんですか?」慶太が訊いた。
「なんとも言えない。このまま眠りから覚めないということもありえるようだ。それから解離のもととなった実在する人物の特定は非常に難しいだろう。フォトンベルトが2008年上を過ぎ去ってしまった今、われわれにはどうすることもできない」

「彼女たちが目覚めない可能性は!?」慶太は強い口調になって訊いた。

「50%ほどだ」

「そんな・・・」

うつむいて目を閉じた慶太の心情を察してザノビスが言った。
「100年も前の存在と接触を果たしたこと、慶太にとっては願ってもない幸運かもしれない、だが・・・」

途中で口ごもるザノビスのあとをサーシャが引き継いだ。
「彼女たちにとっては・・・解離による自分たちの虚ろな存在、その危うさに耐えられるかしら。そして何よりこの状況。ここにいれば必然的に彼女たちには関係のない100年後のごたごたに巻き込まれるのよ・・・かわいそうだけど目覚めないほうが彼女たちにとって、いいのかもしれないわね」

003

一瞬何のことだか分からなかった。
文脈がでたらめの幼児の言葉を理解できないように「シンニュウシャ」という単語の意味を受け入れるのには、
一瞬の間が必要だった。

冷静なサーシャが躊躇いがちに言葉を発した。
「た、確かに、エンジンルームに生命反応が・・・5つ確認できるわ」


「侵入者って!?そんなことありえるわけーー!ひょっとしてエイリアン!?映画じゃないんだからっ」

甲高い声を上げるあかねに対し、もっとも素直な反応だと思いながらも
センサーに反応した生命体の存在を自ら確認したザノビスは、戸惑うよりも先に、
いや戸惑いそのものを打ち消すかのように、クルー達に指示を出した。

「霞乃子はエンジンルームがあるブロックの閉鎖を急いでくれ、サーシャはM2機関のパワーを
極限まで落とすんだ。あかねはアガルマを自動操縦に切り替え、そのまま停泊モードに。」
「はい!!」

「シーン、慶太。我々は武器を持ってエンジンルームへ向かうぞ」
「了解!!」

フォトンベルトの幻想的な雰囲気に包まれ目をくらませられそうになっていたクルーたちだが、
実体的なものとの遭遇を感じ、己の実在を呼び戻されたかのように反射的な防衛本能のもと、
俊敏な動きで戦闘準備を整えた。

「わたしもあとから向かうわ」
サーシャがそう言うと「頼む」とだけ告げて、ザノビスは、シーン、慶太とともにブリッジをあとにした。

残されたサーシャたちは釈然としない不安の中、ただ作業を進めるほか無かった。


ブリッジを出てエンジンルームに近づくほどに慶太の動悸は強まっていった。
その様子を察知したザノビスは慶太に擦り寄って言った。

「慶太怖いか?・・・・・俺も怖いよ、当然のことだ。」
すぐには返答できなかった。
ザノビスの言葉で、自分の中の恐怖を客観的に確認した慶太は、その感情がなぜか他人のもの
のように感じられてきた。
慶太は不思議な感覚にとらわれながら答えた。
「大丈夫です」

3人はすでにエンジンルームがあるブロックのそばまで来ていた。

「霞乃子聞こえるか」
ザノビスがインカムで、ブリッジにいる霞乃子に応答を求めた。
「聞こえるわ」

「エンジンルームの生命反応の様子はどうだ」

「まったく動きがありません」

「どういうことだ?」

「言葉のとおりです。5つの生命反応はどれも、現れたその場所から1cmも動いていません」

「・・・そうか、わかった。1分後にブロックの閉鎖を解いてくれ」

「はい」


不可解な目標に対し増幅する気味の悪さを覚えつつ、ザノビスは二人に目配せをした。
閉鎖が解除されたら直ちに「行くぞ」という合図であった。

「開きます」
霞乃子の声がインカムから伝わった。

ギシンという音とともに強化扉が中央から割れ、通路の両サイドへ重々しく納められていった。
エンジンルームは目と鼻の先だった。

シーンが我先にと突き進み、エンジンルームのドアーに駆け寄り開閉レバーをつかんだ。

ザノビスと慶太はシーンの後方で銃を構えた。
レバーを下ろし低い体勢から肩でドアーを押し開け、そのままの勢いで前転し、シーンも銃を構えた。

3人は目の前の実体を確認し、反射的に引き金を引こうとしたが、

それを止めた。


エンジンルームの床に無造作に転がったような状態でピクリとも動かない5体の目標を確認したのだった。

「人間・・・」
少し間をおいて

「死んでる?」
と慶太が言った。

3人はそれぞれ銃を構えたまま、ゆっくりと目標に近づいていった。

ザノビスは5体のうち、まっすぐ仰向けに倒れている者のすぐ傍にしゃがみこんでその首筋に手を当てた。

「・・・生きている」

「全員、女だ・・・みな若い」
シーンは天井を見上げ一息つくようなポーズになっていた。

「敵」では無いな、と3人はそれぞれに思った。涼しげな表情で横たわる彼女らは、
誰も武器らしいものを持っておらず、何よりその格好は日常生活を営む者のそれであった。

フォトンベルトに逃亡した反政府組織エチカの時空艦内は、彼女らが登場するシチュエーション
としてこれ以上似あわないものもなかなか無いな、
そう思いながら
「服装から見て、間違いなく我々の時代の人間ではない・・・過去の・・・2008年の存在・・・でしょうか?」
と目の前の現実を説明しようと言葉にした途端、慶太はその滑稽さに少し羞恥の感覚を覚えた。

慶太の発言にあまり関心を寄せずシーンは、足元でくの字型に横たわる女の子の肩をゆすってみた。
「動きそうにないな」

「とにかく医務室に運ぼう」
ザノビスがそう言うのと同時にエンジンルームにたどり着いたサーシャは、目を丸くして周囲を見渡し、状況の半ばを理解して
「ウェルにタンカーを持ってこさせるわ」と言った。

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正体不明の5名の侵入者が医務室に運ばれているころ、ザノビスの指示を受けたあかねは低エネルギーを保ったアガルマをゆっくりと時空の果てから遠ざけていた。

アガルマが2019年時空上にさしかかろうとしたとき、「時空の果て」は2008年上から姿を消した。その瞬間ザノビスたちの時代は2109年を迎えたのであり、フォトンベルトもまた2109年―2009年、100年間の時空上へ移動したことになるのであった。

ひとり艦長室の椅子に深く腰掛け、頬杖を付くザノビスの脳裏には、ふと浮かび上がる言葉があった。



“トリコマレ”