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フォトンベルトは2060年、宇宙にその実在が確認された。時間と空間が交じり合うフォトンベルトでは、4次元とも5次元ともいわれる「時空」が形成されていたのだった。M2機関を機動力とした特殊時空艦の開発によって、人はフォトンベルト内への進入、そして「過去の世界」へ行くことを可能にした。
フォトンベルトは現時点で2008年のある時点から2108年のある時点に存在しており、「過去」の消滅と「現在」の拡張を繰り返していた。別の言葉で言えば、フォトンベルトは100年の時空を時の経つのと同じ速さで移動しているのだった。

アガルマのブリッジでクルー達は各自の配置に付きながら、ウェルが艦内食堂から運んでくれた簡易フードを食べていた。トマトソース・スパゲッティー風味のブレッドタイプ簡易フードを頬張りながら慶太は言った。

「2008年、100年前の世界・・・。むかしの映像は何度も見てはいるけど、実際にこの目で見て、体感したいな・・・。アガルマで地上に降りるのはやっぱり不可能だろうか。」

特定の誰かに尋ねたというようではなかったが、それに対し一番適役のサーシャが答えた。
「アガルマに光学迷彩をほどこしても、人工衛星、その他に感知される確率は高いわね。そしてなにより、地上に降りたとして、わたしたちが何者かと接触した場合のタイムパラドックスのリスクは避けられないわ。」

タイムパラドックス・・・。2108年に戻って・・・たとえば自分達が存在しない世界になってたらそりゃ恐ろしいだろうな。」顔をしかめながらシーンが言った。

「んーそうか、やっぱり無理かな・・・。くやしいな」

「慶太は2008年の世界で一番見たいものは何?」
そうあかねが聞くと、なぜかウェルが答えた。

「ケイタ アキハバラスキ アニメ コスプレ」

「ごほっ、こらっウェル!」
慶太は口の中のものを吐き出しそうになりながら、ウェルを小突いた。

不思議そうに慶太の顔色を覗き込みながら、あかねが聞いた。
「アニメ・・・レトロな響きね。今でもアートとしてごく少数の愛好者がいるって聞いたことあるわ。アニメってどういうのかよく知らないけど、昔のはなにか違うの?あと、・・・そう、コスプレって何?えーと、それから秋葉原ってバーチャルゲームの制作会社が密集してる秋葉原でしょ?」


「ごほんっ」と息を整える慶太。
「コスプレについては、ちょっと説明しづらいな。・・・秋葉原はアニメやアニメゲームの中心的街だったんだ。ゲームと言っても今で言うゲームとはまるで違うし、そしてアニメにしても、何が違うかといえば・・・もうまったく違うんだけどね。正確に言えば、日本のアニメだけが違うんだ。とにかくその絵柄は今の人が見ても、まず感情移入が難しいだろうね。キャラクターのディフォルメや表現形態が一風変わっていて、普通、気味が悪く見えてしまったりする。」

「ちょっとイメージできないんだけど。で、慶太はその、むかしの日本アニメが好きなんだ。」

「まあ・・・そうだね。」

「もったいぶっても、正直あまり興味が沸かないわね」

「ケイタ フルクサイ ヘンナノ」

「こらぁウェル、ただの懐古趣味みたいに言うな」

「あれ、違かったの?」

「まったく・・・。日本人が作るアニメは特殊な記号がものすごく洗練されたかたちで幾重にも折り重なって独特な文脈を作り上げるんだ。そして虚構への深い感情移入を可能にさせる。バーチャルリアリティーの技術が当たり前になってしまった僕達の時代からはとても想像しづらいよ。僕ら100年後の現代人はそういった感性をすっかりなくしてしまったんだ。」

二人とウェルの会話を聞いていたザノビスがおもむろに口を開いた。
「いまや複雑な感情の回路は経たれている。すべてが即物的でなければならない。」

一瞬の間をおいてサーシャが続いた。
「記号の組み合わせを文脈に転換させる感性・・・。今では人間よりAIの方が優秀じゃないかしらね。」


2108年―デジタル化した社会。個人のあらゆるデータ、健康状態から嗜好性、行動心理・・・膨大な量のデータが毎日、政府の巨大なコンピューターに集積され、そして「数値化」されていく。公共サービスのための身分データ以外は、匿名で送られ、そのデータはコンピューターによって管理されているから、人々のプライバシーが侵害されるリスクはほとんど無いとされている。国家が集めたデータは各企業とネットワークで通じており、それぞれのサービスに生かされるのだ。人々は自身の正確なデータを把握し個人の高機能モバイルに保存すればするほど、企業によって自分に適したサービスを自動的に提示され、また効率よく提供される。人々は便利で合理的に、より「無駄」の無い充実した生活を送り、ひいては理想の人生が送れるというわけだ。ほぼ自分の寿命が測定できる時代に、人々は“有限の時間”という感覚を肥大させ、人生からできる限り「無駄」を排そうとしたのかもしれない。


だれもが口には出さない

「無駄」というものの中の一つ。





他者とのコミュニケーション。






“人とのコミュニケーションは、大体において無駄なことではないだろうか”

そういった思いが人々の意識に芽生えだしたのはもう半世紀以上前のことだった。



おのおのが思索をめぐらし、ブリッジをしばしの静けさが包んでいたが、沈黙と食事の時間を締めくくるようにザノビスは話し始めた。
「社会の工学化以前、アナログの時代の人々にとって世界は透明なものではありえず、経験や偶然性の中で生活が営まれていた。現在から見れば無駄を繰り返えすことが、すなわち人生であったとも言えそうだ。
その中で、「選択」という言葉は今と比べ物にならないほど重要な概念として人々に共有されていた。
個人はあらゆる選択を迫られ、責任のもとに実行し、失敗し、また何かを発見した。
現在多くの人にとっては当たり前だが、「選択」は個人のデータにのっとって他の誰でもない・・・そう、コンピューターがしてくれるだろう。そして個人に適したサービスを企業側は常に用意し、常に提供してくる。
それが我々の存在する世界だ。」

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「現在2017年時空上。フォトンベルトの果て2008年時空まで、のこり90分あまりの地点にきています。
サブカライトの反応値は微量に増え続け、やや高め。ほか異常なし。
このまま向かいますか、ザノビス。」
オペレーターのシーンが艦長に確認を求めると、クルーの全員がザノビスの言葉に意識を集中させた。

「このまま行こう。これまで2008年時空に来た艦はない。みんなすでに知っていると思うが、スピカの計算ではそこで起こりうる問題のほとんどが計測不能と判断されている。
気を抜くな。」
ザノビスは口調を強め、船舵手の二人に向かって続けた。
「慶太、あかね、安定値を保って2008年時空で静止してくれ。・・・出来るか」

「やってみます」

「やってみるわ」