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ブリッジ全体に緊張が走っていた。微量ではあるが確かに、今までに無い種類の「ゆれ」を全員が感じていたのだ。
「まもなく2008年時空に進入します。」
他に誰も言わなかったから、とでも言うように霞乃子は形式的な口調で淡々とそう告げた。

ブリッジにいる誰もが気付いていた。本当ならもっと早いタイミングで霞乃子でなくとも誰かしらが言うセリフだった。

ザノビスがためらっているように感じられたのだ。

サブカライトの反応値は確実に上昇を続け、このままだと2008年時空上で限界値を超えてしまうのは明らかだった。M2機関が損傷すればアガルマは間違いなくフォトンの海に溶解してしまうだろう。

アガルマが2008年時空を目指し出航する際、ザノビスはクルーにこう告げていた。

スーパーサブカライトを所有しているのはわれわれだけである。
今後、日本政府と対峙する際の最も有効なカードとなることは明白だ。
エネルギー反応を限界まで計測せずして、スーパーサブカライトを十分に扱うことはできない。スーパーサブカライトが現状、本来の反応を示すのは時空の果て、それも2008年時空上だとスピカは計算している。
わかっていると思うが2008年上にフォトンベルトがあるのは残りわずかの期間でしかない。
今回の渡航が、最大値データを収集する最後のチャンスとなるだろう。
いずれスーパーサブカライトがわれわれの運命を左右するときが来る。
そのためには2008年時空にどうしてもいかなくてはならない。」


―クルーを死なせるわけには行かない―

2008年目前に着て、ザノビスの頭によぎった感情を誰もが理解していた。

「覚悟はできているつもりよ」
サーシャがおもむろにそう言い、シーンが後に続いた。
「みそこなわないでほしいね。ザノビスさんよ」
はっとした顔を見せるザノビスに、そばにいる霞乃子がささやいた。
「サブカライトの未知なる力・・・お願い、見させて」

「行きましょう」
「なんとかなるわ、そんな気がする」
アガルマを操縦する慶太とあかねの声が頼もしく響いた。


「このまま何もなしに2108年に帰っても、どの道ろくなことが待ってないだろうからな」
ダメ押しのようにシーンがそう言うと、サーシャがアイロニックな笑みを浮かべながらつぶやいた。
「それもそうね」

「サーシャ、M2機関のレベルをS級に切り替えてくれ。
全員準備はいいようだな。」

クルーの意志に対し、余計な杞憂を感じていた事を恥じながら、ザノビスはみなを待たせていた言葉を強い口調で発した。
「2008年時空に進入する」

「了解!!」

ただ、フォトンベルトという異空間がそうさせたのかもしれない。そこはすでに現実的な世界ではなかった。エチカのメンバーは指名手配され、地球からも離れ、そして時空という物理的な世界を超越した場所に存在しているのだった。フォトンベルトはあらゆる存在を溶かし込む魔物かもしれない。同時にアガルマのクルーにとって、それは誘惑に似た何かであった。

慶太は吸い込まれるようにアガルマを2008年の時空に侵入させた。機体の大きなゆれは、誘いの合図であるかのように慶太にはとてもスムーズに感じられた。

「時空に歪みが発生している・・・」
シーンが思わず独り言のようにそういった瞬間、ブリッジの面々に強い電流が通過するような感覚が生じた。

すぐ目の前でスポットライトを当てられたように、あかねは目を伏せた。
「あっ・・・なに、この感じ・・・うあっ・・」
その近くでウェルが小刻みに震えていた。
「コワレル・コワレル」

スーパーサブカライトが異常な反応を見せているわ・・・これが本来の力・・・」
顔色を変えることの少ない霞乃子が笑みを浮かべているようにも見えた。

ザノビスは叫んだ。
「アガルマの時空内実体は持ちこたえられるか、サーシャ」

「なんともいえない状況だわ・・・計算上では64%を保つのがやっとというところね。ただスーパーサブカライトの反応値が臨海点に達したら・・・確実にアウトよ」

「M2機関がいかれちまったら2108年に戻れなくなっちまう・・・」
一応、確かめるようにシーンはそう言い、そして続けた。
「ちょっと待て・・・ものすごい反応値だ・・・時空の歪みも激しくなっている・・・これ以上ここにとどまるのは・・・やばいぜ、ザノビスさんっ。このままだとアガルマごと時空に溶解してしまう」

目が覚めるようにクルーを襲う現実的な恐怖とは裏腹に、モニターに映るフォトンベルトの姿はより幻想性を増していた。

「サーシャ、M2機関にリミッターをかけてくれ。そのまま機動力をゆっくりと時間をかけて半減させるんだ。同時にあかねはアガルマの軌道を後方に修正、慶太はフォトンベルトの歪みとの同調を試みてくれ、同調率が正常値を示した瞬間、一気に脱出する。」
ザノビスの早口ではあるが、一語づつ正確な口調による指示で、クルーの意識が集中力を取り戻した。

「はいっ」


2008年時空への渡航の目的が一瞬で皆の視野から離れようとしていた時、ただ1人スーパーサブカライトの反応値を気にかけていた霞乃子はある異変に気が付いた。
「一体何が・・・・どういうこと・・・M2機関エンジンルームに・・・・・・」
霞乃子の声は震えていて最後の方は発声することができなかった。

隣で霞乃子の動揺を察知したシーンもその異変に気付き、目を見開いて叫んだ。
「侵入者!?エンジンルームに侵入者だ!!」